安全だけでなく、暮らしも守りたい
「シニアカーで徘徊している人がいる」
そんな相談を受けて、実際にご本人を訪問したことがあります。
認知症のある方で、一人暮らしをされていました。
安全を守ることは大切です。しかし、その人が続けたい暮らしまで一緒に取り上げない方法を考えたいと思います。
最初に相談を聞いたとき、私もやはり「危ない」というところに目が向きました。
車が通る道路をシニアカーで移動すること。
一人暮らしの中で火を使うこと。
周囲から見れば、止めた方がいいと思うのは自然なことだと思います。
でも、実際にご本人と話してみると、少し見え方が変わりました。
行きたかった場所には、ちゃんと理由があった
その方が向かおうとしていたのは、少し離れたところにある店でした。
そこには、おいしい干物が売っているそうです。
「少し大きめのものを自分で選んで、火で炙って食べるとうまい」
そんな話をされました。
魚の大きさにも好みがあり、焼き加減にも自分なりのこだわりがある。
話を聞いていると、ただ目的もなく外に出ていたわけではありませんでした。
この方は「徘徊していた」というより、干物を買いに行こうとしていた。
私はそう思いました。
周囲から見れば、確かに危ない
ただ、危険がないわけではありません。
車が通る道路を一人で移動することには、やはり心配があります。
周囲から見れば、
「あの人大丈夫だろうか」
と思うこともあるでしょう。
また、一人暮らしの中で火を使うことについても、
「火事になったらどうするのか」
「危ないことはやめてもらった方がいいのではないか」
という考えになりやすいと思います。
私も、その心配はよく分かります。
でも、そこで少し考えました。
危ないことを全部やめてもらえば、それでいいのだろうか。
「やめてもらう」以外にできること
例えば、一人で外出することが危険なのであれば、毎回一人で行かなくてもいいのかもしれません。
週に1回、あるいは2回。
誰かが一緒に行ける日をつくる。
日にちが分かりにくくなっているのであれば、デジタル式の日めくりカレンダーと、これまで使ってきた紙のカレンダーを組み合わせてみる。
そして、出かける日に丸をつけて、
「この日は一緒に行くから、それまでは待っていてくださいね」
と本人と確認する。
そんな工夫もできるのではないかと思いました。
その日になったら一緒に店へ行き、本人が好きな大きさの干物を選ぶ。
家に帰ったら、火で炙るところは見守ったり、必要なところだけ手伝ったりする。
そうすれば、
「危ないから外出しない」
「危ないから火を使わない」
と、本人の楽しみを一つずつ取り上げなくても済むかもしれません。
干物を買うことだけが目的ではない
今回の話を思い返していて、私はここが大事なのではないかと思いました。
本人にとっては、店へ行くことだけが目的ではありません。
自分で魚を選ぶ。
家に持ち帰る。
自分の好きな焼き加減で炙る。
そして食べる。
そこまで全部つながって、その人の暮らしなのだと思います。
私たちは安全を考えるあまり、その一連の暮らしを全部「危険な行動」として見てしまうことがあります。
でも、危険をなくすことと、その人の暮らしをなくすことは同じではない。
日々の楽しみも、その人が歩んできた人生も大切にしたい。その思いは、「ここまで歩いてきた人生だから、認知症の先も幸せであってほしい」にも書いています。
そんなことを考えました。
その人が望んでいる場所で暮らすために
この方が一番望んでいたのは、住み慣れた自宅で暮らし続けることでした。
もちろん、在宅で暮らし続ける以上、危険をゼロにはできません。
でも、
「危ないからやめてもらう」
「危ないから一人暮らしは難しい」
と決める前に、
「どうすれば危険を減らしながら、この人が望む暮らしを続けられるだろう」
と考えてみる余地はあると思います。
外出の方法を工夫する。
日にちが分かりやすいようにする。
誰かが一緒に行く。
火を使うところだけ見守る。
一つひとつ分けて考えれば、自宅で暮らし続ける方法が見つかることもあるのではないかと思います。
今日の気づき
「認知症の人がシニアカーで徘徊している」
最初にそう聞いたときと、本人から話を聞いたあとの印象は、私の中ではかなり違いました。
「徘徊」という言葉を先に置くと、その人が何をしようとしていたのかが見えなくなる。
そして、
「危ないからやめる」ではなく、「どうすれば続けられるか」を考える。
今回の方にとっては、干物を買いに行き、自分で選び、炙って食べることまでが、その人らしい暮らしの一部でした。
安全を守ることはもちろん大切です。
でも、その人が一番望んでいる暮らしまで一緒に取り上げてしまわないようにしたい。
今日、この方のことを思い返しながら、そんなことを考えました。
この経験は、講演で聞いた「何を防ぐか」だけでなく「何を可能にするか」という考え方にもつながる気がします。その話は、「心に残った講演――同じ支援でも意味は変わる」に書いています。
