ここまで歩いてきた人生だから、認知症の先も幸せであってほしい
今日は、家族会に参加しました。
そこで、あるご家族から介護についての話を聞きました。
認知症になっても、その人と家族の幸せまで終わるわけではありません。家族会で聞いた夫婦の話から、認知症の先に残る時間について考えます。
個人が特定されないように、ここでは関係性や詳しい状況などは一部変えて書きます。
その方は、認知症のある妻が入所している施設へ通い、食事の介助などをされているそうです。
食事のときには、昔よく一緒に聴いていた歌を流すこともあると話されていました。
若い頃には、もちろん喧嘩をすることもあったそうです。
家族が七夕の短冊に「二人が喧嘩をしませんように」と書いたこともあったそうで、その話を今では笑いながら話されていました。
でも今は、認知症になった大切な妻のところへ通い、昔一緒に聴いていた歌を流しながら食事をしている。
その話を聞いていて、私はいろいろなことを考えました。
やっと、これから二人でと思った頃に
人は生まれて、子どもの頃を過ごして、大人になります。
誰かと出会い、結婚する人もいます。
子どもが生まれれば、仕事をしながら子育てをする。
家のこともある。
仕事で嫌なことがある日もある。
夫婦で喧嘩をすることだってあると思います。
それでも、何とか一日一日を過ごしていく。
そうして子どもが大きくなり、仕事も一区切りつく。
「これから二人でゆっくりできるかな」
そんな時期になって、どちらかに認知症の症状が出てくることがあります。
何十年も仕事や子育てを頑張ってきて、やっと少しゆっくりできると思ったところから介護が始まる。
今日、その話を聞きながら、
「これは大変だな」
と思いました。
認知症になったところから、不幸になってほしくない
認知症になれば、生活は変わります。
今までできていたことが難しくなることもあります。
介護する家族にも負担がかかります。
実際の介護は、「認知症になっても大丈夫」と簡単に言えるようなものではないと思います。
でも、だからといって、
認知症になった。
そこから本人も家族もどんどん苦しくなった。
最後は「あの頃に戻りたい」と思いながら生活する。
そんなふうにはなってほしくないなと思います。
今日聞いた話の中では、今でも昔の歌を一緒に聴く時間がありました。
食事を一緒にする時間もあります。
昔は喧嘩をしていたという話を、今は笑って話すこともできる。
認知症になって、それまでと同じ生活ではなくなったとしても、そこに残っているものはあるのだと思いました。
笑うこと。
一緒に食事をすること。
昔好きだった歌を聴くこと。
そういう時間までなくならなくてもいいはずです。
認知症になったところから人生が不幸になるのではなく、その後にも、その人なり、その家族なりの幸せがあってほしい。
私はそう考えています。
その人が大切にしている時間を、どうすれば続けられるのか。「安全だけでなく、暮らしも守りたい」でも、日々の楽しみを支えることについて考えています。
では、自分には何ができるのか
介護が大変になりすぎて、
「もうどうしたらいいのかわからない」
と思ってしまう家族もいると思います。
中には、「もう生きていたくない」と思うほど追い詰められてしまう人もいます。
そうなる前に何ができるのか。
今日、家族会から帰りながら考えました。
相談できる場所があること。
介護している人が少し休めること。
困ったときに誰かに話せること。
認知症になっても生活を続けるための選択肢があること。
そういうものが、もっと身近にあればいいと思います。
もちろん、そんなに簡単な話ではありません。
少しきれいごとに聞こえるかもしれません。
それでも、私は認知症になったことをきっかけに、その人や家族の人生が不幸になっていくような社会にはしたくないと考えています。
今つくる道は、いつか自分たちが歩く道
そして、これは今介護をしている人たちだけの話ではありません。
私もいつか年を取ります。
自分が認知症になるかもしれません。
家族が認知症になるかもしれません。
自分が介護をする側になることもあると思います。
そう考えると、今、認知症の人や家族が少しでも暮らしやすいようにしていくことは、将来の自分たちのためでもあるのだと思います。
今日、家族会で聞いた話がずっと頭に残っています。
昔、一緒に聴いていた歌。
喧嘩もした二人。
そして今は、介護をしながらまた同じ歌を聴いている。
人生はいろいろあるんだなと思いました。
認知症になることも、その長い人生の途中に起こる一つの出来事なのかもしれません。
その出来事をきっかけに、そこから先を不幸にするのではなく、
「いろいろあったけれど、悪くない人生だったな」
最後にそう思えるような生活が続いてほしい。
そのために、自分には何ができるのか。
今日の家族会を通して、そんなことを考えました。
