心に残った講演――同じ支援でも意味は変わる
先日、「認知症基本法と新しい認知症観」についての講演を聞く機会がありました。
GPSや離床センサーは、危険を防ぐためにも、本人がしたいことを続けるためにも使えます。同じ道具でも、誰のために何を可能にするのかで、支援の意味は変わります。
この講演は、私にとってとても印象に残るものでした。
話を聞きながら何度も「本当にその通りだ」と感じましたし、これまで認知症の方への支援に関わる中で、自分の中にあった考えや違和感を言葉にしてもらったような感覚もありました。
一方で、これまで十分に考えてこなかった新しい知見もありました。
私自身の認知症ケアに対する考え方を、改めて見直すきっかけになった講演だったと思います。
内容がとても多いため、一度の記事ですべてを書くのではなく、何回かに分けて、自分自身のこれまでの経験と重ねながら書いてみたいと思います。
今回は、その中でも最初に強く印象に残った「GPS」の話から考えてみます。
「私を監視しているの?」
講演では、GPSの使用について二つの考え方が示されました。
一つは、
「認知症の人が行方不明にならないように、GPSや地域の見守りを活用する」
という考え方。
もう一つは、
「認知症の人が安心して外出できるように、GPSや地域の見守りを活用する」
という考え方です。
行っている支援は同じです。
しかし、何のために使うのかによって、その意味はずいぶん違います。
この話を聞いたとき、私は以前、急性期病院で働いていた頃のことを思い出しました。
病院や施設では、転倒の危険がある方に離床センサーを使用することがあります。
私が急性期病院で働いていた頃も、転倒予防のために離床センサーを使用する場面がありました。
患者さんがベッドから起き上がるとセンサーが鳴り、スタッフが訪室します。
スタッフからすれば、転倒を未然に防ぎ、患者さんの安全を守るためのものです。
私も、その必要性そのものを否定していたわけではありません。
しかし、実際にセンサーが鳴って訪室したとき、
「私を監視しているの?」
と言われたことがあります。
また別の方からは、
「あなたたちは、私が起きるたびに来るね」
と言われたこともありました。
その言葉を聞くたびに、私は考えさせられました。
私たちは「安全のため」にしている。
しかし本人からすると、自分が立ち上がるたびに誰かがやって来る。
それを「見守られている」と感じる方もいれば、「監視されている」と感じる方もいるのだと思います。
安全を守ろうとするスタッフの思いも分かります。
一方で、本人がそう感じているのであれば、その声も大切にしなければならない。
当時の私は、その間でジレンマを感じることがありました。
センサーを使うこと自体が問題なのではない
離床センサーは、ミトンや抑制帯のように身体を直接固定するものとは性質が違います。
拘束の程度も同じではありません。
だから私は、単純に、
「離床センサーは使わない方がよい」
という話ではないと思っています。
たとえば、その方が安全にトイレへ行くために、必要なときにスタッフが見守りや介助に入る。
あるいは、退院後に自分でトイレへ行ける生活を目標として、入院中の歩行や排泄動作のリハビリを安全に行うために、離床センサーを見守りの補助として使用する。
そういう使い方もできます。
本人が動こうとすることを止めるためではなく、
「自分でトイレへ行きたい」
という行動を支えるために使う。
同じ離床センサーでも、何を目的として使用するのかによって、その意味は変わってきます。
今回の講演で示されたGPSの考え方と、まさに同じだと思いました。
「つけたから安心」で終わらせない
そして、もう一つ大切なのは、一度センサーをつけたら、そのままにしないことです。
入院直後には必要だったかもしれません。
しかし、その後リハビリが進み、歩行状態が改善することもあります。
病棟の環境にも慣れてくるかもしれません。
排泄動作が安定してくることもあります。
本人の状態が変われば、必要な支援も変わるはずです。
「今も本当に必要なのか」
「見守りの方法を変えられないか」
「そろそろ外すことはできないか」
そのように必要性を継続して評価していくことが大切だと思います。
安全対策は、一度決めたら終わりではありません。
本人の状態や気持ちを見ながら、その必要性を問い続ける。
そして、外すことができるタイミングが来たら外していく。
そこまで含めて、その人のための安全対策になるのではないでしょうか。
本人の思いをケアに反映する
患者さんの思いや意思をくみ取り、それをケアに反映していくことは、看護師の大切な役割だと思います。
そして、認知症看護認定看護師としては、特に大切にしなければならない役割の一つだと私は考えています。
認知症のある方の場合、自分の不快感や思いを十分に言葉にできないことがあります。
一方で、今回のように、
「私を監視しているの?」
とはっきりと言葉にしてくださる方もいます。
その言葉を、単なる訴えとして終わらせず、
「なぜ、この方はそう感じたのだろう」
と考えることが必要なのだと思います。
病棟スタッフが、
「転倒させたくない」
「事故を起こしたくない」
と考えることも、もちろん理解できます。
そこには患者さんを守りたいという思いがあります。
一方で、
「私を監視しているの?」
という本人の言葉も、同じように大切です。
どちらか一方が正しいという話ではありません。
「安全のためにセンサーをつけるべきか、外すべきか」
という二択ではなく、
「この方は何をしたいのか」
「それをできるだけ安全に行うためには、どうしたらよいのか」
と考えていくことが必要なのだと思います。
「何を防ぐか」から「何を可能にするか」へ
今回の講演を聞いて、急性期病院で働いていた頃に感じていたジレンマが、少し言葉になったように感じました。
GPSも離床センサーも、それ自体が良いもの、悪いものと決まっているわけではありません。
何を防ぐために使うのか。
何を可能にするために使うのか。
そして、その支援を本人はどう感じているのか。
同じ道具でも、その背景にある考え方によって意味は大きく変わります。
これから支援を考えるとき、
「危険だからどう見守るか」
だけではなく、
「この人がしたいことを、安全に続けるためにはどうしたらよいのだろう」
という視点も持ち続けたいと思います。
「危ないからやめる」ではなく、「どうすれば続けられるか」。このことは、「安全だけでなく、暮らしも守りたい」で書いた、一人暮らしの方との関わりでも考えました。
今回の講演では、このほかにも、新しい認知症観について考えさせられる話が数多くありました。
本人を「支えられる人」としてだけではなく、「権利を行使する主体」として見ること。
障害を本人の中だけの問題として捉えるのではなく、社会や環境との関係から考えること。
そして、「新しい認知症観」が希望に満ちた考え方である一方で、それだけを強調することで見えなくなってしまう本人や家族の苦しみがあるかもしれないということ。
本人の思いを大切にする一方で、家族が今夜をどう過ごすのかも置き去りにはできません。「専門職にはみえにくい、介護の夜」では、ご家族の話を聞いて、自分の提案を考え直した経験を書いています。
どれも、私にとって考えさせられる内容でした。
この講演は、私自身の認知症ケアに対する考え方を改めて見直す、大きなきっかけになりました。
一度の記事で終わらせるのではなく、これから何回かに分けて、自分がこれまで現場で経験してきたことと重ねながら、少しずつ書いていきたいと思います。
続いて、本人を変えるのではなく周囲の環境を変えるという視点を、「心に残った講演②――本人ではなく、周りを変えるということ」で考えています。
