「家に帰りたい」の家は、どこなのだろう――家族から聞いた話より
「家に帰りたい」と言うとき、その人が思い浮かべている「家」は、今の自宅とは限らないのかもしれません。
そして、本人にとって安心できる場所があるのなら、周囲が考える「家」に無理に帰ることだけが、正解ではないのかもしれない。
家族から、そんなことを考える話を聞きました。
自宅・施設・病院という選択肢については、「認知症になったら、どこで暮らすのか②」でも考えています。
「家に帰りたい」という言葉
認知症が進んでいる方について、ご家族から話を聞く機会がありました。
その方は、時間や場所だけでなく、人との関係についても分かりにくくなることがあるようでした。
認知症では「見当識障害」という症状がみられることがあります。
見当識とは、
「今日はいつなのか」
「今、自分はどこにいるのか」
「目の前にいる人は誰なのか」
といった、自分を取り巻く時間・場所・人物を把握する力のことです。
認知症が進むと、日にちや時間が分かりにくくなり、さらに場所や人についても分かりにくくなることがあります。
ただし、すべての人が同じ順番で変化していくわけではありません。
その方も、ときどき「家に帰らないといけない」と言われるそうです。
しかし、その「家」がいつも同じ場所を指しているようには見えませんでした。
現在暮らしていた場所を「家」と思っているようなときもあれば、もっと昔、自分が幼い頃に暮らしていた場所を思い浮かべているようなときもある。
昔暮らした場所へ行ってみると
「帰りたい」という言葉が繰り返されるため、ご家族が一度、昔暮らしていた場所へ一緒に行ったことがあったそうです。
ところが、そこへ着いても、その方は建物の中へ入ろうとはしませんでした。
玄関付近から、周りの景色を眺めていたそうです。
「ここだよ。中に入る?」
と声をかけても、
「入らなくていい」
という返事だったとのことでした。
その場所が分かっていたのか。
昔の記憶と景色が重なったのか。
それとも、よく分からない場所として眺めていたのか。
本当のところは分かりません。
もしかすると、昔見ていた景色と何かが重なり、安心したのかもしれません。
一方で、頭の中に残っている昔の風景と、現在の景色が違っていて、
「ここではない」
と感じた可能性もあります。
認知症の人が「家に帰りたい」と言うとき、私たちはつい「では家へ連れて帰ればいい」と考えてしまいます。
でも、その人の中にある「家」は、住所で示せる場所とは限らないのかもしれません。
今いる場所を「家」と感じることもある
現在、その方は医療機関で生活されています。
そして、ときには、今いる場所を「自分の家」のように感じているような様子もあるそうです。
また、自分の名字についても、現在の名字ではなく、昔使っていた名字を口にすることがあるとのことでした。
家族からすれば、戸惑うこともあると思います。
長い時間を一緒に過ごしてきた家族のことも、以前と同じ関係として認識しているとは限りません。
それでもご家族は、間違いを訂正することより、その方が安心して話せるように合わせながら接していました。
その話を聞いていて、私は印象に残ったことがあります。
「正しいことを思い出してもらう」ことより、「今、安心していられること」を大切にしている。
そこに、その家族なりの支え方があるように感じました。
本当に「家に帰る」ことが一番なのだろうか
ご家族は、
「一度、家へ連れて帰った方がいいのだろうか」
ということについても考えていました。
私は話を聞きながら、無理をしてまで帰らなくてもいいのではないか、と感じました。
もし今いる場所を「自分の家」のように感じ、そこで落ち着いて過ごせているのであれば。
そこへ家族が会いに来て、一緒に穏やかな時間を過ごす。
それも、その人にとって大切な時間なのではないでしょうか。
「家族なのだから、自宅に帰してあげることが一番いい」
そう考えるのも自然なことだと思います。
ただ、それが本人の願いではなく、周囲の側の「そうしてあげたい」という思いになっていることもあるのかもしれません。
本人の声を大切にしようとしながら、聞く側が望む答えを探していないか。その迷いについては、「心に残った講演③――私は「理想の本人の声」を探していた」でも振り返っています。
本人が求めているものは、家という建物そのものではなく、
「安心できる」
「怖くない」
「何となく知っている感じがする」
という感覚なのかもしれません。
迷うことにも意味があるのかもしれない
ただ、
「家に帰した方がいいのだろうか」
と家族が悩むことを、私は決して無駄だとは思いません。
認知症が進んでいく中で、
「これでいいのだろうか」
「もっとできることはないだろうか」
「あのとき、違うことをしておけばよかったのではないか」
と家族の気持ちは揺れます。
受け入れられたと思ったあとに、また迷うこともあると思います。
その迷いそのものが、
「この人にとって何が一番いいのだろう」
と考え続けている時間でもあります。
いつか介護の日々を振り返ったとき、
「あのとき、本当にこれでいいのかと何度も考えた」
という記憶が残る。
それはもしかすると、
その人を大切にしようとしていた、一つの証になるのかもしれない。
ある家族の話を聞きながら、そんなことを考えました。
※この記事は、個人が特定されないよう、内容の一部を変更・再構成しています。
