偽薬を渡すことに、少し引っかかった
先日、施設に勤める友人との会話から、偽薬について考えることがありました。
偽薬を使うことが良いのか、悪いのか。
私が一番引っかかったのは、そこではありません。
同じものを渡すとしても、「誰のために使うのか」で、その支援の意味は変わるのではないか。
今日は、そんなことを考えました。
友人に「フリスク」の話をした
先日、施設に勤める友人と話していたときのことです。
その施設では、不安が強くなったときなどに服用する頓服薬として、医師から偽薬が処方されているそうです。
ただ、その薬は薬局から施設へ届けられるため、必要なときに手元になく、間に合わないことがあるとのことでした。
その話を聞いて、私は以前勤めていた病院でのことを思い出しました。
その頃、フリスクを偽薬のようにしてお渡しすることがありました。
そのことを友人に話すと、
「その手があったか」
という反応でした。
確かにフリスクは、小さな錠剤のようにも見えます。
友人からは「いいことを教えてもらった」と言われました。
でも私は、その言葉を聞きながら、少し複雑な気持ちになりました。
「これは、本当にいいことを教えたのだろうか」
そんな引っかかりが残りました。
効く成分がなくても、安心することがある
プラセボ、いわゆる偽薬は、その症状に対して薬理学的な効果を期待する成分が入っていないものです。
それでも、
「薬を飲んだ」
「これでよくなる」
という安心感や期待によって、痛みや不安などが軽くなることがあります。
いわゆるプラセボ効果です。
考えてみれば、私自身にも似たような経験があります。
疲れているときに栄養剤を飲むと、
「よし、これで少し元気になる」
と思うことがあります。
もちろん、栄養剤には成分そのものの作用があります。
それでも、「飲んだから大丈夫」という気持ちも、少なからずあるように思います。
認知症のある方でも、
「薬を飲みたい」
「薬を飲めば眠れる」
と訴えられることがあります。
そして何かを服用したことで安心し、そのまま穏やかに過ごせたり、眠れたりすることもあります。
そう考えると、偽薬にも一定の意味があるのかもしれません。
一方で、
「本人を騙していることにはならないのだろうか」
という思いも残ります。
同じ偽薬でも、意味は違う
このことを考えているうちに、以前聞いた医師の講演で印象に残った話とつながりました。
支援では、「何をしたか」だけではなく、
「それを誰のためにしているのか」
を考えることが大切なのだという話です。
この講演で聞いたGPSや離床センサーの話は、「心に残った講演――同じ支援でも意味は変わる」に書いています。
たとえば夜になり、不安が強くなって、
「眠れない」
「薬をください」
と何度もスタッフのところへ来られる方がいたとします。
何かを服用することで、
「これで眠れる」
と安心し、穏やかに夜を過ごすことができる。
その人が安心するために使うのであれば、そこには一つの意味があるのかもしれません。
でも、
「何度も来られると仕事が進まない」
「同じ話を何回も聞くのは大変だ」
「対応するのが面倒だから、これを飲んでもらおう」
という気持ちで使っていたらどうでしょう。
使っているものは同じです。
見た目の対応も同じです。
それでも私には、まったく違う支援のように感じます。
「誰のために」が抜けてはいけない
もちろん、
「本人のためなら偽薬を使ってもいい」
と単純に言いたいわけではありません。
本人に薬だと思わせて渡すのであれば、「騙す」という問題は残ります。
だから偽薬については、簡単に良い、悪いと決めることのできない難しさがあります。
ただ、今回私が考えたのは、そのもう一つ手前です。
「今、自分は誰のためにこれをしようとしているのだろう」
本人の不安を軽くするためなのか。
本人が安心して眠るためなのか。
それとも、私たち支援者が楽をするためなのか。
見た目には同じ支援でも、その出発点によって意味は変わる。
ここが抜けてはいけないのだと思います。
新人に伝えたいのは、方法より考え方
そして、このことは新人教育にもつながると感じました。
「こういうときには偽薬を使う」
「こうすれば落ち着く」
という方法だけを伝えるのでは、十分ではありません。
なぜ、その方法を選ぶのか。
誰のためにするのか。
ほかにできることはないのか。
そこまで一緒に考える必要があると思います。
認知症のある方への支援には、教科書だけでは答えが出ない場面がたくさんあります。
だからこそ、「どうすればうまくいくか」だけではなく、
「この支援は、本当に本人のためになっているだろうか」
と考えられることが大切なのだと思います。
友人からは「いいことを教えてもらった」と言われました。
けれど、私は素直に「よかった」とは思えませんでした。
その少し引っかかった気持ちがあったからこそ、今回あらためて考えることができました。
同じことをするにしても、誰のためにするのか。
支援する側の都合になっていないか。
これからも、自分自身に問いながら支援していきたいと思います。
