弱いところを指摘された日に、自分の良いところを考えた
今日は仕事で、自分でも苦手だと感じている部分について、厳しい指摘を受けた。
やはり気持ちは落ちる。
でも、その帰り道に思った。
悪いところばかり見ていると、自分の良いところまで見えなくなってしまう。
今日は、自分の不得手について少し考えた一日だった。
苦手だから、できないわけではない
私は、文章を整えることがあまり得意ではない。
頭の中では考えていても、それを分かりやすい言葉にするのが難しいことがある。
認知症看護認定看護師として学ぶ中では、本人や家族の思いをくみ取り、それを言葉にして伝えることの大切さも学んできた。
だからこそ、「文章が苦手」ということを、自分の弱点として感じることもある。
でも、文章が苦手だからといって、ブログが書けないわけではない。
私はChatGPTの力も借りながら、自分の中にある考えを整理し、こうして文章にしている。
苦手なことがあっても、方法を工夫すれば、自分の思いを誰かに伝えることはできる。
それでいいのではないかと思う。
不得手があることと、劣っていることは違う
人には、得意なことと不得意なことがある。
私は文章を整えることは得意ではない。
一方で、患者さんやご家族の話を聞くこと、一緒に考えることは大切にしてきた。
自分を信頼して話をしてくださる患者さんや、ご家族もいる。
だから、文章が不得意だからといって、認知症看護認定看護師として劣っているわけではないと、自分では信じている。
ただし、
「苦手だから仕方がない」
で終わっていいとも思わない。
人の力を借りる。
道具を使う。
伝え方を工夫する。
得手不得手があることと、努力しなくていいことは別の話だと思う。
認知症のある方を見るときにも
そんなことを考えていると、認知症のある方への関わりも同じではないかと思った。
認知症になると、どうしても「できなくなったこと」が目につく。
物忘れが増えた。
判断に時間がかかる。
今までできていたことが難しくなった。
もちろん、支援するためには、難しくなったことを知る必要がある。
でも、そこばかり見ていると、その人全体まで「できない人」に見えてしまうことがある。
人を気遣うことができる。
好きなことがある。
誰かと話して笑える。
まだできることも、たくさん残っている。
考えてみれば、それは認知症のある方だけではなく、私自身にも必要なことだった。
今日の指摘は、気持ちの良いものではなかった。
でも、自分の弱いところだけではなく、できているところにも目を向けるきっかけにはなった。
適度な負荷が、人を成長させることがある。
その意味を、今日は少しだけ実感した気がする。
苦手なことがある。
でも、それだけで自分全部が決まるわけではない。
補いながら、努力しながら、自分にできることを続けていけばいい。
今日は、そんなことを考えた一日だった。
