症例発表は嫌い、でも、今日は一日考えていた

srnote26

私は、症例発表会があまり好きではありません。
でも、今日はほぼ一日、発表する症例について考えていました。

考えていて気づいたのは、嫌なのは症例を振り返ることではなく、意味が見えないまま自分の時間を使うことなのかもしれないということでした。

振り返ることには意味がある

症例をまとめようとすると、普段の仕事では流れていってしまうことに、もう一度立ち止まることになります。

「あのとき、なぜそう考えたのだろう」

「ほかに方法はなかったのだろうか」

「本人にとって、本当にこれでよかったのだろうか」

今回も考え続けているのは、本人の思いを大切にすることと、安全や制度との間にある難しさです。

本人の望む暮らしと安全の間で考えた経験は、「安全だけでなく、暮らしも守りたい」にも書いています。

本人の自己決定を大切にしたい。
でも、本人が望むことを何でもそのまま支えることが、自己決定支援というわけでもありません。

安全を考えなければならないこともあれば、制度上できないこともあります。

どちらか一方を正解にできれば簡単ですが、実際の支援はそんなに単純ではありません。

症例として振り返ることで、当時は見えていなかったことが見えてくることがあります。

そして、それをほかの人と共有すれば、同じような場面に出会ったときに、よりよい方法を考える材料になるかもしれません。

そう考えると、症例を振り返ることには意味があると思います。

「実績になる」だけでは動けない

以前、症例発表について、

「自分の実績にもなるから」

と言われたことがあります。

確かに、発表した経験は残りますし、自分の実績にもなるのでしょう。

でも正直なところ、それを聞いても、あまりやる気にはなりませんでした。

実績になるから発表する。

それだけでは、私にとっては少し弱いのです。

考えてみると、私はたぶん、意味がないと思うことに、自分の時間を使いたくないのだと思います。

「昔からやっているから」
「順番が回ってきたから」
「実績になるから」

それだけでは、なかなか納得できません。

「これをやることで、何が変わるのだろう」

そこに自分なりの意味を見つけたいのだと思います。

意味があっても、時間の問題は残る

そして、症例発表会があまり好きではない理由がもう一つあります。

準備する時間です。

症例を振り返り、考えを整理し、資料を作り、人に伝わる形にする。

やってみると、かなりの時間がかかります。

勤務時間の中ですべてできればよいのですが、現実には難しいこともあります。

仕事が終わってから考えたり、休日に資料を作ったり。

気がつけば、自分の時間にまで症例発表の準備が入り込んできます。

以前、症例発表をする人が、準備にどのくらいの時間を使い、どのくらい負担やストレスを感じているのか、調べてみたいと思ったこともありました。

今考えると、純粋な研究心だけではなかったと思います。

「これだけ大変なんだ」

「これだけ自分の時間を使っているんだ」

それを数字にして、誰かに分かってほしい。

そんな気持ちもあったのだと思います。

意味のある取り組みだからこそ、それを支える時間についても考える必要があるのではないか。

今でも、そこには引っかかりがあります。

嫌いなのに、今日は一日考えていた

それでも今日は、ほぼ一日、症例のことを考えていました。

「あのとき、ほかに方法はなかったのだろうか」

そうやって振り返ることで、自分が何を大切にして支援していたのかも少し整理できました。

発表する機会がなければ、ここまで立ち止まって考えなかったかもしれません。

だから、やっぱり意味はあるのだと思います。

ただ、症例を発表すること自体が目的なのではありません。

活動を行ったという事実だけで終わらせず、そこにどんな意味を持たせるかということは、「花を植えるだけで終わらせない――少人数でも、意図をもって伝えることに意味がある――」でも考えました。

振り返り、考え、それを共有して、次の支援につなげる。そこに意味がある。

そう考えると、少しだけ症例発表を見る目が変わりました。

でも、やっぱり好きかと聞かれたら、好きではありません。

「意味はある。でも、やっぱり大変だな」

今日はそんなことを考えた一日でした。

プロフィール
しるべ
しるべ
認知症看護認定看護師
認知症看護認定看護師として、認知症疾患医療センターで認知症に関わっています。 これまで急性期病院での勤務経験があり、ケアマネジャー資格、家族の介護経験もあります。 専門職としてだけでなく、家族として悩んだ経験も含め、日々の関わりの中で感じたことや気づいたことを、自分の言葉で綴っています。 正解を押しつけるのではなく、「こんなこともあるよね」と一緒に考えられる場所にしたいと思っています。
記事URLをコピーしました