心に残った講演③――私は「理想の本人の声」を探していた
認知症のある本人の声を大切にする。
私はそう考えながら、いつの間にか「私の理想の本人の声」を探していたのかもしれません。
今回の「新しい認知症観」についての講演を聞き、以前の自分の関わりを思い出しました。
同じ講演から、「本人ではなく、周りを変える」という視点については、「心に残った講演②――本人ではなく、周りを変えるということ」で考えています。
「本人の声を届けたい」と思っていた
以前、認知症のある本人から、地域の人たちに直接、自分の思いを発信してもらえないだろうかと考えたことがあります。
認知症になっても、明るく生活している。
物忘れがあったり、以前のようにできないことが増えたり、理解することが難しくなったりしても、それでも自分らしく暮らしている。
そんな本人の言葉を地域の人に直接聞いてもらえたら、
「認知症になったら何もできなくなる」
「認知症になったら人生は終わり」
「認知症になったら希望は持てない」
そんなイメージが少しでも変わるのではないか。
そして、それは私の地域にとっても大きな前進になるのではないか。
私はそう考えていました。
そこで、そのような思いを自分の言葉で話してくれる方はいないだろうかと、探したことがありました。
実際に話を聞いて、私は戸惑った
ある認知症の方と話をする機会がありました。
ところが、その方から出てきた言葉は、私が思い描いていたものとは違いました。
前向きな言葉よりも、後ろ向きな言葉が多かった。
これからの人生に希望を持っているというより、「もう……」と、人生を諦めているように私には聞こえる言葉もありました。
その話を聞きながら、私は心の中で、
「この方では難しいかもしれない」
と思ってしまいました。
認知症のある本人から地域へメッセージを届けてもらう。
その役割には、この方はふさわしくないのではないか。
そんなふうに考えてしまったのです。
私が探していたのは「本人の声」だったのか
今回の講演を聞いていて、そのときの自分を思い出しました。
そして今になって考えると、とても引っかかります。
私は「本人の声を大切にしたい」と思っていました。
でも、本当にそうだったのだろうか。
私が探していたのは、
「認知症になっても私は元気です」
「できないことはあるけれど、前向きに暮らしています」
「認知症になっても人生を楽しめます」
そんな言葉を語ってくれる人だったのではないか。
「認知症になったら希望は持てない」という地域のイメージを変えたい。
その思いが強かったからこそ、私は知らないうちに、「希望を語ってくれる本人」を求めていたのかもしれません。
つまり、
本人の声を探していたのではなく、私が伝えたい「新しい認知症観」に合う本人の声を探していたのではないか。
そう思うと、反省するところがあります。
不安も絶望も「本人の声」
今回の講演で、心に残った話がありました。
認知症になった本人が感じるものは、希望だけではない。
自分の記憶が少しずつ失われていくことへの恐怖。
これから自分はどうなっていくのだろうという不安。
今までできていたことができなくなっていくつらさ。
そして、ときには絶望することだってある。
そうした気持ちもまた、認知症のある本人の声なのだという話でした。
その話を聞いたとき、以前お会いした方のことが浮かびました。
あの方が「後ろ向きだった」のではない。
むしろ私のほうが、「前向きな言葉」を期待して聞いていたのではないか。
そう思いました。
希望を語る声も、本人の声。
不安を語る声も、本人の声。
絶望を語る声も、本人の声。
こちらにとって聞きやすい声だけが、「本人の声」ではありません。
「新しい認知症観」を押しつけない
私は今も、「認知症になったら希望は持てない」という社会のイメージは変わってほしいと思っています。
認知症になっても、自分らしく暮らすことができる。
できることもある。
誰かの役に立つこともできる。
希望を持って生きていくこともできる。
そうしたことを伝えるのは、とても大切だと思います。
でも、
「認知症になっても希望を持たなければならない」
「前向きでなければならない」
となれば、話は違います。
それでは、新しい認知症観そのものを本人に押しつけることになってしまいます。
本人の声を社会に合わせるのではなく、本人から出てきた声を、まず社会が聞く。
家族や周囲が考える望ましい暮らしと、本人が感じている安心が同じとは限らないことは、「「家に帰りたい」の家は、どこなのだろう」でも考えました。
明るい声も、暗い声も。
希望も、不安も。
前向きな気持ちも、絶望する気持ちも。
それを聞いたうえで、認知症になっても希望を持って暮らせる社会をつくっていく。
それが大切なのではないかと思います。
「本人の声を大切にする」と言いながら、私は本当にその声を聞いていただろうか。
本人だけでなく、家族や専門職にも、それぞれの立場から見えている景色があります。その違いについては、「専門職にはみえにくい、介護の夜」にも書いています。
今回の講演は、そんな問いを自分自身に返してくれました。
そして、これから本人の話を聞くときには、
「私は、自分が聞きたい答えを探していないだろうか」
ということを、忘れないようにしたいと思います。
