普通の物忘れと認知症の物忘れ――出前講座で感じたこと
地域の公民館で出前講座をしたとき、認知症について話す中で、普通の物忘れと認知症でみられる物忘れの違いについても触れました。
この違いは、言葉だけで説明すると少し分かりにくいところがあります。
「体験の一部を忘れるのが普通の物忘れで、体験そのものを忘れるのが認知症の物忘れ」
そう言えば簡単なのですが、それだけでは、なかなか自分の生活には置き換えにくい。
そこで、その場にいる皆さんの体験をそのまま例にして話してみました。
この公民館に来たことを例にしてみる
「皆さんは、この公民館に集まってもらっていますよね」
そんなところから話を始めます。
たとえば、この集まりに参加費が100円かかったとします。
ここでビールを飲んだり、ハイボールを飲んだり、オレンジジュースやサイダーを飲んだり、お菓子を食べたりした。
そして次の日になって、
「昨日、何を飲んだっけ」
「ビールだったかな」
「オレンジジュースは飲んだかな」
となる。
何を飲んだかは忘れていても、公民館に来て、みんなで過ごしたこと自体は覚えている。
これは、体験したことの一部分を忘れているということになります。
私自身も、昨日何を食べたかすぐに出てこないことはあります。
一方で、
「昨日、公民館に行ったでしょう」
と言われても、
「いや、行っていないよ」
となる。
公民館に来て、皆さんと一緒に過ごしたという体験そのものが抜けている。
私は、普通の物忘れと認知症でみられる物忘れの違いを考えるとき、こんなふうに話しています。
もちろん、実際にはこんなにきれいに分けられるものではありませんし、これだけで認知症かどうかが分かるわけでもありません。
ただ、その場で実際に体験していることに置き換えると、少しイメージしやすくなるようです。
財布の100円から見えてくること
もう一つ、参加費の100円を使って話を続けました。
次の日、財布を見て100円少ない。
「あれ、100円どうしたっけ」
そう思ったとします。
家族から、
「昨日、公民館で払ったんじゃなかった?」
と言われて、
「ああ、そうだった」
と思い出す。
忘れてはいても、きっかけがあれば昨日の出来事につながっていきます。
でも、公民館に来た体験そのものが抜けていれば、本人には「自分は100円を使っていない」という感覚が残ります。
そうなると、極端な例ではありますが、
「100円がない。誰か取ったんじゃない?」
と考えることもあるかもしれません。
この話をしながら、改めて思うことがあります。
周りから見れば「忘れている」のですが、本人からすれば「自分は使っていないのに、お金がなくなっている」という出来事になります。
本人の中では、本人なりにつじつまが合っている。
認知症の人の言葉や行動を見るときに、そこを忘れないようにしたいと思います。
皆さんの反応から感じたこと
この話をすると、
「ああ、なるほど」
という反応がありました。
その様子を見ながら、認知症のことは難しい言葉だけで説明するよりも、身近な生活の場面に置き換えた方が、自分のこととして考えやすいのだろうと思いました。
最近の出前講座では、抗アミロイドβ抗体薬について聞かれることもあります。
テレビや新聞などで知っている方もいて、認知症の治療について関心を持っている方が増えていることを感じます。
治療の選択肢が増えてきたことで、MCI(軽度認知障害)など、より早い段階で変化に気づくことの意味は、以前とは変わってきています。
早く受診すればいい、治療を受ければいい、という単純な話ではありません。
ただ、早い段階で分かれば、その後の生活について考える時間を持つことができます。そして、治療についても本人や家族が考え、選択できる可能性が広がります。
だからこそ、「まだ大丈夫だろう」と待つだけではなく、少し気になる段階から相談できることの大切さは、これまで以上に増していると感じています。
では、どんな変化があれば相談するのか。そのことは、「どんな症状があれば受診すればいいのかーー早期受診の目安を聞かれて考えたこと」でも考えています。
公民館で皆さんと話をしながら、こういう小さな場で一緒に考える時間を重ねていくことも大切なのだと思いました。
「自分はどうだろう」
「家族はどうだろう」
そんなふうに少し振り返るきっかけになる。
出前講座は私が何かを伝える場所でもありますが、皆さんの反応や質問から、私自身が考え直すこともたくさんあります。
今回も、そんなことを感じた出前講座でした。
