認知症と告知することに、どんな意味があるのだろう
― 同じような認知機能障害があっても、「認知症」と診断される人と、されない人がいる ―
認知症と診断したら、本人に伝える。
それは本当に、いつでもその人のためになるのでしょうか。
今日は、そんなことを考えていました。
このことを考えるきっかけになったのは、長年、認知症の方を診てこられた医師から教えていただいた一つの視点でした。
同じような認知機能障害があっても、その人の生活のあり方によって、認知症と診断される人と、されない人がいる。
その話を聞いて、私は改めて考えました。
では、認知症と診断し、それを本人に伝えることには、どんな意味があるのだろう。
最初に一つだけ。
認知症の診断は医師が行うものです。
ここでは、認知症のある人の生活に関わる看護職として、私自身が「診断すること、そして本人に伝えることには、どのような意味があるのだろう」と考えたことを書いてみたいと思います。
AさんとBさん
例えば、AさんとBさんという二人の高齢者がいるとします。
二人とも、認知機能は同じくらい低下しています。
Aさんは一人暮らしです。
食事を作る。
買い物をする。
薬を管理する。
お金を管理する。
公共料金を支払う。
予定を覚えておく。
生活の多くを自分一人で行っています。
ところが、認知機能が低下してきたことで、
薬を飲み忘れる。
支払いを忘れる。
同じ物を何度も買う。
食事をうまく準備できない。
そうしたことが起こり、これまで自分でできていた生活に支障が出ています。
一方、Bさんは家族と暮らしています。
食事は家族が準備してくれます。
買い物も一緒に行きます。
薬は家族が自然に確認しています。
お金の管理も家族が一緒にしています。
Bさんにも、Aさんと同じ程度の認知機能障害があります。
しかし、日々の生活は保たれています。
ここで重要なのは、
AさんとBさんは、認知機能障害の程度は同じでも、認知症の診断は同じにはならない
ということです。
認知症の診断には「生活」が含まれている
認知症は、単に物忘れがある、あるいは認知機能検査の点数が低い、というだけで診断されるものではありません。
認知症の診断に用いられる基準の一つであるDSM-5-TRには、
「毎日の活動において、認知欠損が自立を阻害する」
ということが診断基準として示されています。
少し難しい表現ですが、簡単に言えば、
認知機能が低下しているだけではなく、そのことによって、それまで自分でできていた生活が難しくなっているかどうか
が重要だということです。
『認知症疾患診療ガイドライン2026』でも、認知機能障害によって日常生活が阻害されていることが、認知症を診断するうえで重要になります。
そう考えると、Aさんは、認知機能障害によって日常生活の自立が阻害されています。
一方、Bさんは、同じ程度の認知機能障害があっても、日常生活の自立は保たれています。
診断基準に照らして考えると、Aさんは認知症と診断され、Bさんは認知症とは診断されないことになります。
ここで、とても大切なことが見えてきます。
「認知機能障害があること」と「認知症であること」は、同じではない。
認知症という診断には、その人の「生活」が深く関わっています。
では、Aさんに「認知症です」と伝える意味は何か
Aさんは認知症と診断されます。
では、そのAさんに、
「あなたは認知症です」
と伝えることには、どのような意味があるのでしょうか。
診断を知ることで、
治療について考えることができる。
必要な生活支援につながることができる。
これからどのように暮らしていきたいかを考えることができる。
家族と今後について話し合うことができる。
本人が大切にしていることや、これからどう過ごしたいのかを周囲と共有することもできます。
つまり、認知症であることを本人が知ることで、その後の生活をよりよくしていくための選択や支援につながる可能性があります。
そうであれば、告知には意味があると思います。
もちろん、
「あなたは認知症です」
と聞いた直後には、本人の心が大きく揺れるかもしれません。
これから自分はどうなるのだろう。
家族に迷惑をかけるのではないか。
何もできなくなってしまうのではないか。
そんな不安や落ち込みが生じることもあるでしょう。
ただ、告知の意味は、その瞬間の反応だけで判断するものではないと思います。
短期的には本人が揺れることがあったとしても、その後、治療や支援につながり、自分のこれからについて考え、本人なりの生活を続けていくことにつながるのであれば、長い目で見たときに告知する意味はある。
私は、告知について考えるときには、この長期的な視点がとても大切なのではないかと思っています。
では、Bさんはどうなのだろう
一方のBさんには、Aさんと同じ程度の認知機能障害があります。
しかし、その認知機能障害によって日常生活の自立は阻害されていません。
診断基準に照らせば、Bさんは認知症とは診断されません。
そうであるならば、
認知機能が低下しているという理由だけで、Bさんに「認知症」という診断名をつけ、
「あなたは認知症です」
と伝える必要はありません。
これは、告知をするかしないか以前の問題です。
そもそも、認知症ではない人に認知症という診断名をつける必要はない。
Bさんに必要なのは、「認知症」という診断名ではなく、今の生活を維持するための環境や支えなのかもしれません。
告知の「リスク」と「リターン」は長い時間軸で考える
私は、告知について考えるとき、
「その人にとってのリスクとリターン」
という視点があってもよいのではないかと思っています。
認知症であることを知ることで、
自分の状態を理解できる。
治療を選べる。
必要な支援につながる。
これからの暮らしについて考えられる。
本人の意思を周囲に伝えることができる。
そうしたものは、告知によって得られる「リターン」と言えるかもしれません。
一方で、
不安。
落ち込み。
喪失感。
「もう自分には何もできない」という自己否定。
そうしたものが生まれる可能性もあります。
これが告知による「リスク」です。
希望だけでなく、不安や絶望も本人の声として受け止めることについては、「心に残った講演③――私は「理想の本人の声」を探していた」で考えています。
ただし、ここで大切なのは、告知したその日の反応だけで評価しないことだと思います。
告知直後には不安や動揺が強くても、その後、
必要な治療を受ける。
生活上の支援につながる。
家族とこれからについて話す。
自分が大切にしたいことを伝える。
少しずつ自分の状態を受け止めながら、自分なりの生活を続けていく。
そうした変化が生まれることがあります。
だから、告知のリスクとリターンは、
「伝えたその日、本人がどう反応したか」だけではなく、「その告知が数か月後、数年後の本人の生活に何をもたらしたのか」という時間軸で考える必要がある
のだと思います。
短期的にはつらさを伴うことがあっても、長期的に本人の利益につながるのであれば、告知には意味がある。
反対に、長い目で見ても本人にとって得られるものが乏しく、不安や混乱だけを増やすのであれば、その告知にはどのような意味があるのかを考える必要があります。
「伝えること」を目的にしない
私は、認知症の本人に病名を伝えない方がよい、と言いたいわけではありません。
本人には自分のことを知る権利があります。
そして、知ることで自分のこれからを考えられることは、とても大切です。
ただ、
「認知症と診断されたから伝える」
というところで終わるのではなく、
その人は、知ることで何を得られるのか。
告知した後に、どのような支援につながるのか。
本人は何を選べるようになるのか。
その人の生活はどう変わるのか。
そして、それは数か月後、数年後のその人にとって、どのような意味を持つのか。
そこまで考える必要があると思います。
最後に
AさんとBさんには、同じ程度の認知機能障害があります。
でも、Aさんは認知機能障害によって生活の自立が阻害されている。
Bさんは生活の自立が保たれている。
だから、診断も同じではありません。
そしてAさんが認知症と診断されたときには、
「認知症です」と伝えることが、この人のこれからの生活にどんな意味を持つのか
を考える。
しかも、その意味は、告知した直後だけを見るのではなく、その後の人生まで含めた長い時間軸で考える必要がある。
私は、そこがとても大切なのではないかと思います。
認知症の診断も、告知も、それ自体が目的ではありません。
最終的に大切なのは、
その人がこれからどう生きていくのか。
認知症になった後にも、その人や家族なりの幸せが続いてほしいという思いは、「ここまで歩いてきた人生だから、認知症の先も幸せであってほしい」にも書いています。
診断や告知が、その人のこれからを支えるために役立つのであれば、そこには大きな意味があります。
認知症と診断すること。
そして、それを本人に伝えること。
その二つを「その人の生活」と「その人のこれから」というところから考えてみる。
長年、認知症の方を診てこられた医師から教えていただいた視点をきっかけに、今日はそんなことを考えました。
